2019年02月の日記
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●2019年02月17日(日)

いゃ〜死にかけました。あはははは....。
と、笑っていられるのは今だからである。
では、何があったかご説明しよう。

先週の火曜日(2月12日ね。)、お店で嫁とお昼ご飯を
食べた後だった。急に便意をもよおしたのでトイレに行った。
だが便ではなかった。見ると便器は血まみれになっている。
嫁に「いっぱい血が出た。」と言うと、嫁は「それは痔や。」と笑う。
(本当にこいつは能天気なやつだ。)
気を取り直して仕事を続けていると再び便意。トイレはまた血の海。
あれー?大丈夫かな?と少し不安になりながら仕事を続けて5分後、
またまた便意が。三度目も血の海だったので、嫌がる嫁に見てもらうと
嫁びっくり!すぐに病院へ行けと嫁に言われたが、今日はお店1人なので
無理だと。そんなやりとりを5分ほど続けた。するとまたまたまた便意、
トイレ血の海。さすがにこれはやばいと思った。
インターネットで近くにある消化器内科を探すと兵庫駅の近くに良い病院を
見つけた。店を臨時休業にして病院へ行くことにした。
その時点で4時半。お昼ご飯は3時半だった。

血はドバドバ出るのだが、特に痛くない。通勤に使っている自転車を置いて
元町から電車で行けと言う嫁に自転車で行くと言いはり、約4キロ自転車を
こいで病院に行く。受付で血が止まらないことを報告し、少し待って診療室へ。
触診をしようとお尻の中を見たお医者様がビックリ!「これはまずい。血で何も見えない。」
またまた〜と言おうとしたがお医者様の顔を見てこれは冗談じゃないことを悟る。
「すぐに当直のいる消化器内科のある大きな病院を調べますので、今から行ってください。」
とお医者様。ここまでの交通手段を聞かれたので、自転車だと言うとみんなに驚かれ、自転車を
置いていっても良いのでタクシーで行ってくださいと言われた。
でも僕は一旦、家へ帰りたいので自転車で1キロ先の自宅に帰った。
帰ると娘がいた。嫁はいなかった。嫁にはもしものことを考えて家で待機しておいてくれと
頼んだのに。娘に「パパ、もしかしたら入院かもしれん。」と言ったら、友達とケンカして
パパどころではないらしい。なんだか僕の価値が一気に崩れた瞬間だった。
診察しやすいようにジャージに着替え、待っていると嫁が帰ってくる。
店前で別れてから1時間、まっすぐ帰れば30分ほどなのにどこへ行っていた!と問い詰めると
買い物していたらしい。この家の危機感も崩壊した瞬間だった。

タクシーを呼び、嫁と紹介状を書いてもっらた大きな病院へ。この時、だいたい7時半ごろ。
お医者様が僕のお尻の中を見て再びビックリ!CTスキャンを撮ると腸の動脈が破れて
危険な状態だということがわかる。緊急で内視鏡手術をするが、その間も2度トイレに行って血の海。
それを見た看護師さん二人の驚きの声がまだ頭に残ている。
穴のあいたパンツをはかされ手術を。部分麻酔だから声が聞こえる。
「あれ〜。どこだぁ。血で見えないぞ。」これはやばいと思った。「このまま死ぬのかな?」
とちょっと死がよぎる。その間もぐいぐい内視鏡が動くので、ゲロとゲップの繰り返し、
意識が薄れて気が付いたら、腸の破れた所が見つかったのでクリップで留めて止血した後だった。

お医者様は出血がひどいので輸血の準備をしていたらしい。手術後の時計は翌日の0時半だった。
当たり前だがそのまま入院。集中治療室のようなところで1日過ごし、2日間絶食。
なのに5日で退院した。本当は他にもポリープがあったり、腎臓にあるぶつぶつ?が
脳や心臓に動脈瘤を作る可能性があるので精密検査をしたほう良いと言われたが、
すぐにどうこうならないのならば仕事が休めないから保留にしてくれと頼んだのである。

かくて僕は今日、店で仕事をしている。
あの時、あのまま店で閉店まで仕事を続けていたら、
また血は止まるだろうと病院へ行っていなかったら
僕は出血多量で死んでいた。神様なんか信じやしないが、
まだ僕は生きなければならない運命だったのだろうか。
では誰のため?家族かぁ?まぁ、そうだろうな。だから少し意識が遠のく時はありますが
僕はまだ生きています。あは。

本当は『アクアマン』を観て、今週の店長を書こうと思っていたのですが、
この状態では書けないかと思ったので、今回は文章だけです。

次回、入院編を書く予定です。あまりにも退屈なので人間ウォッチングをして
ネタを沢山仕入れました。こうご期待。
以上、店長でした。....ふぅ、ちょっと無理したかな。


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