2014年12月の日記
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●2014年12月11日(木)
母の日本舞踊の会も無事、終わった。
娘もおばあちゃんである母と『連獅子』を舞い、とても好評だった。
勉強も運動も平均以下の娘だが、日本舞踊だけは人並み以上の才能があると父である僕は思っている。親バカもいいところだ。
娘の友人たちも沢山観に来てくれた。少しは学校で株が上がったかな。

無事、大きなイベントを終えた2日後のこと。
まだ会の後片付けが終わらないので、僕の仕事が終わってから家族3人で夕食を食べに行った。お好み焼きを食べ、ほくほくした気分で帰宅した直後、嫁に「お風呂の沸かすスイッチをいれて。」と言われた。
めんどくさいなと思ったのだが、それぐらいはいつものことと承諾して風呂場に行く。んっが!!!浴室に入った途端、僕は足を滑らせ、こけてしまった。それも普通じゃないほどのこけかたで。
あまりにも痛くて、ちょっとの間、動くことが出来なかった。
30秒ほど経ったあとだろうか、右足を見ると・・・。
人指し指がありえない方向に曲がっていた。例えるなら、『寄生獣』のミギーの目玉の付いた頭みたいな状態、根元から右に曲がって、途中で左に曲がり、先っちょあたりが再び右に曲がるという状態だった。

僕は焦っておかしな向きの指を触った。思ったより痛くないので、指をもとの位置に戻そうと親指側に引っ張ってみる。しかし、指はビヨヨーンと元の曲がった位置に戻る。これは折れたなと思った。
思えば51年間、骨だけは強かったので一度も骨折したことがない。初めての骨折にしてはとても間抜けな理由と骨折箇所だ。悲しみを堪え、「骨折した!」と叫びながら、何とか立ち上がり、リビングへ行くと、嫁はソファでテレビを見、娘は骨折と言う言葉にびびり、部屋にこもっていた。
「骨折や言うてるのに、何テレビ見とるねん!」と怒る僕に、「パパはいつも大袈裟やから大したことないと思って。」と嫁。
これからは痛くても大袈裟に言うのはやめよう。
それでもさすがにミギーみたいな指を見て、これはヤバイと思ったのか救急車を呼ぶかと嫁。なんとか歩けるから、救急の病院を探してくれと僕。119番で夜間救急の病院を聞き、タクシーで行くことにした。娘は最後まで部屋から出ず、声だけで「留守番している。」叫んでいた。この怖がりめ。

病院へ着き、レントゲンを撮ると案の定、複雑に骨折しているらしい。医者いわく、「これ真っ直ぐにする手術するなら、骨に針金を入れれなければなりません。んでも、少しぐらい曲がったままでも支障はないですよ。」と東北なまりで語った。僕は、ややこしいことは嫌いなので、出来るだけ元に戻して、戻らなければ曲がったままでも良いと宣言した。

とにかく麻酔をかけ、MRIで見ながら折れた個所を引っ張って直すことに。
かくして僕のミギーはコキコキという音と伴に、かっこ悪くない程度には治ったのだった。

それでも指は左の3倍ほどに腫れ上がり、1週間は両足がとっても腫れ上がり、2週間後にやっと歩くという行為ができるようになるほどだった。

今は1、2分かかる距離を5分かけて歩いている。(ちょっと前までは10分かかっていた。)
思えば今年は足の災厄ばかりだった。痛風になり、最後に骨折かよ。
来年の初詣は、手を抜かずにちゃんと厄神さんに拝もうと思う僕であった。

今週は『西遊記〜はじまりのはじまり〜』。
僕はチャウ・シンチーの笑いが好きだ。
あの「少林拳はサイコー。」と素の顔で唄うチャウ・シンチーは本当に最高だ。アメリカのギャグは笑えないが、チャウ・シンチーのは笑える。

でも今回は監督だけで、出演しない。だからか映画に華がない。三蔵役のウエン・ジャンは悪くないのだが、チャウ・シンチーほどのオーラがない。少し残念だ。では良くなかったと言えばそうではない。何故なら僕が大ファンのスー・チーが出ているからだ。もうスー・チーを大きなスクリーンで見ることが出来ただけでプラス60点。40歳にはなったが、アクションをし、踊るスー・チーはとてもキュートだった。

話の内容はさして目新しくもなかったが、香港映画の楽しさは味わえます。ぜひ、観て下さい。ラストに流れる『Gメン75』のテーマソングはどういった意図なのかも考えてみてください。

以上、店長でした。


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