2010年01月の日記
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●2010年01月17日(日)
明けましておめでとうございます!
今年、初めての店長です。
今年もシネマインク
をよろしくね。

さて、今日は1月17日。15年前の午後5時46分、阪神大震災があった日である。
僕は神戸在住、つまり被災者である。
僕は震災のことを今までに一度も文章にしたことがない。
あの時の恐怖、絶望、沢山の友人、知人、生徒の死、
それから生まれた負けまいとする力、希望、人のやさしさ
など、あまりにも壮絶な出来事を文字にして伝える自信がなかったからかもしれない。

15年経った神戸は、美しい街を取り戻した。でも、それは表向きだけで、実際には、まだまだ神戸は完全復活していない。

繁華街を外れた兵庫区や長田区には、あの地震からずっと空き地のままの場所もたくさんある。
神戸を離れ、別の土地で暮らし始めた人も多い。
二度と神戸に来ることが出来ないトラウマをかかえた人もいる。
全てを無くして、自らの命を絶った人もいる。

僕は、あの時の事実を今でも鮮明に覚えている。そして神戸で生まれ、育った僕だからこそ伝えるられることもあるかもしれないと半年ほど前から急に思い始めた。

だから、少しずつだけれど書いていこうと思います。
全てをいっきに書くのは、精神的にも無理が出そうなので少しずつ書きます。かなり長い期間がかかるかもしれません。
暇な時に読んでもらえれば結構です。
そんな、つもりで読んでください。

地震の当日。僕は、あの瞬間、起きていた。
僕は5時半にトイレに起きた。
父は仕事で家には居ず、その日は母と二人だけだった。

母は日本舞踊の師匠で、前日の夜は、近くおこなう発表会のプログラムを夜遅くまで作っていた。
トイレに起きた時、1階の電気が点いていたのを見て、母が徹夜でプログラムを作っていると思い、2階から「もう朝やで!早よ寝えや!」と叫んだ。
すると2階の母の寝室から寝ぼけた声の返事が。なぁんだ。電気を消し忘れただけか。
僕は1階へ降り、居間の電気を消し、再び2階にある自分の部屋へ戻り、ベッドにもぐりこんだ。

目を閉じ、僕は考え事をしていた。たぶん、今日から面倒をみることになっている演劇部のことを考えていたのだと思う。

暗闇に中で、かすかな揺れが始まった。でも僕は驚かなかった。なぜなら、ここ1週間ほど、小さな地震がいくつかあったからである。「あー、いつもの地震か。」と思ったその瞬間、ドーンという衝撃と共にとてつもない大きな揺れがやってきた。

僕は飛び起き、ベッドに座った状態になった。でもそこから一歩も動くことが出来ない。家が異常な形でグラインドしているからだ。
部屋の壁が斜めになって回っている。部屋中のものが、床に落ち始めた。14インチの四角いポータブルテレビは、まるでサイコロのように部屋中を転げまわっている。
頑丈に出来ているはずであろう家の壁は、まるで薄い板で作ったようにひび割れ、はがれそうになっている。
天井の隙間から沢山の粉の塊が降り注ぎ、部屋中に立ち込めている。
下から突き上げるような大きな衝撃は、身体をベッドから吹き飛ばそうとしていた。僕はシーツを力いっぱい掴み、必死で耐えた。

どれくらいの時間が経っただろうか?だんだん小さくなったその揺れの跡は、信じられない状況だった。「これが、俺の家?」
どうなったんだこれは?母?母は無事か?!僕は叫んだ!
「おふくろ!!」
隣の部屋から母の声が、「ふ、ふとんをかぶり!」。
一瞬、母の発言が滑稽に思え、次に無事そうな声にほっとした。
急いで、入った隣の部屋は、床にガラスの破片が散乱していた。
タンスの上に飾っていたガラスケースが2つ落ちて、割れたのだ。
ガラスの破片が散らばっていた所には普段、父が寝ていた。
もし、ここに父が寝ていたらと思うと背筋が寒くなる。

この地震では、このような運によって人生が左右されている。
ある人は成人式で神戸に帰省して亡くなられた。
逆に前日に飛行機のチケットがとれなくて帰れなくなり、助かった人もいる。
僕の義理の弟(嫁の弟)は、当時高校生で、普段は1階で受験勉強をしていた。前日、父がお土産にお寿司を持って帰り、みんなで食べたらしい。お腹いっぱいになり眠くなった弟は、その日に限り勉強をせず、2階の自分の部屋で寝た。嫁の実家は地震で1階が押しつぶされて無くなった。もし、弟がいつもどおり受験勉強をしていたら、僕は弟に会えなかったかもしれない。

僕は枕元においていた懐中電灯を握り、パジャマの上にオーバーを着、母にもオーバーを着せて、1階へ降りようとした。階段は、斜めにゆがんでいた。
僕が先頭になり、一歩、一歩たしかめるように階段を降りる。母は僕の服をぎゅっと掴んでいた。

とにかく外へ出なければ。玄関に着いた時、振り返ると、1階の大きな仏壇がいつもの場所より2メールほど離れて倒れていた。

玄関のドアも斜めに歪んでいる。
母は、鍵も開けずに必死で引き戸を引っ張っていた。鍵がかかっているのだから開くはずがないと思っていたら、ドアが開いた。母の火事場のバカ力か?と思ったのだが、よく見ると地震で鍵棒はひん曲がり、鍵ごと取れ落ちていた。

外は真っ暗だった。街灯は一つも点いていない。僕の照らす懐中電灯だけが、暗闇をサーチライトのように照らしていた。

少しずつ人が外に出始め、暗闇にいくつかの不安そうな影が見える。自宅を見ると、全体的に左側へ傾き、屋根瓦は全て落ちていた

お隣のおじさんがパッチとステテコのまま出てきて、「何があったんやろ。」と話しかけてきた。
僕は「さあ。」としか答えられなかった。後ろを振り向くと離れた2箇所から煙が立ち昇り、煙の根元は赤く光っていた。火事だ。

僕は地球が滅亡したと本気で思った。

続く。

今週は2本観ました。
まずは『ティンカー・ベルと月の石』。
当然、娘と観に行った。
年末から映画館で映画を観ていなかった僕は、かなりのフラストレーションを感じていたのか、映画館に行ける事が嬉しくて、子供向けのCGアニメーションなのに楽しめてしまった。

ある映画評論家が以前、一作目の『ティンカー・ベル』を観て「キャバクラにいる気分をお父さん方は味わえる」と言っていた。なるほど!見方を変えればその通り、きれいに化粧をしてスレンダーなドレスを着た女の子たちがいっぱい出ている。

太ったママに、お姉さん的なちいママ、新人さんのティンカー・ベルに意地悪をする古株、親切に仕事を教える先輩たち。
行ったことは無いが、大阪、北の新地ってこんなところなのかな?と思ってしまった。

映像もきれいだし、ストーリー展開もスムーズだし、1時間20分という子供にぴったりの時間は合格です。

次の3作目も、違う見方だけれど、観に行こうと思った。娘をダシに使って。

次は『アバター』。

ジェームズ・キャメロン監督作としては『タイタニック』以来の長編。

何十年も暖めてていた企画、脚本らしいが、内容は、『風の谷のナウシカ』と『ポカホンタス』を足したような使い古された内容。わかり易いストーリーではあるが、先が見えてしまう。

確かにCGは素晴らしいが、今更驚くほどでもない。
シガニー・ウィバー以外は有名人も出ていない。では、なぜこの映画が現時点で10億ドルを超えるヒットをしているか。それは今までにない3D映像を観せてくれるからだ。

特に飛び出す映像を期待した人は少しがっかりするかもしれないが、あの奥行きのある映像は、森に自分がいるような臨場感を与えてくれる。

だから「アバター」をこれから観る人にオススメする。
絶対、3Dで観てください。普通の映像版では駄作に思えてしまいます。
そしてもしも許されるなら、日本語吹き替え版で観てください。2時間40分強も字幕を読んでいると、かなり目が疲れます。
(IMAXシアターで、字幕版を観た常連さんは、「日本語訳の戸田奈津子という文字がドカーンと飛び出しました。」と言っていた。)

さあ、今までにない映画を体験してください。

以上、店長でした。


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