2007年02月の日記
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●2007年02月25日(日)

今日の日記は番外編だと思ってください。映画の話は書きません。

3日前に知り合いが亡くなった。以前、この日記(2006年1月を参照)に書いた母のお弟子さんだったお姉ちゃんのお母さんである。お姉ちゃんは30年前、和歌山で交通事故にあい、亡くなった。それ以来、お姉ちゃんのお父さんとお母さんは、悲しみを二人で乗り越え、細々と、それでも人に出来る限りたよらず肩を寄せあって生きてきた。そのお母さんが亡くなったのだ。

悲報を聞いた時、僕は信じられなかった。去年にあったお母さんはあいかわらず耳があまり聞こえないが、ニコニコして元気な笑顔だった。朝、お父さんが起こしにいった時に返事がなく、様子がおかしいと思ったお父さんが救急車に連絡し、病院に運ばれたが、もうすでに脳死状態だったそうだ。お父さんは延命拒否をした。

入院したと聞いた次の日、妻と二人で病院へ行き、お母さんの意識がなくても会おうと言っていたのだが、前の日の夜には亡くなられてしまった。

お父さんが母に電話で「葬儀場へ行く前に会ってやってくれ。」と言うので、僕と妻と母は車でご自宅へと向かった。
布団の上のお母さんは綺麗な顔で寝ていた。今にも起きそうなお母さんの前で、うなだれるお父さん。「お母さんにさよなら、有難うを言うてない。」とお父さんは繰り返した。

お父さんは心臓が悪いので、毎日沢山の薬を飲まなければならないのに、もう2日も飲んでいなかった。僕らが飲んでくれと言っても、「お母さんが呼んでるねん。早よ来てほしいって。」と言うばかりだった。「お母さん、僕もすぐ行くからな。」と言うお父さんを母と妻は泣きながら説得していた。

葬儀場へ運ばれてからもお父さんはひと時もお母さんのそばを離れなかった。僕はお父さんの通っている病院へ事情を説明し、薬の処方箋を貰い、内緒で家へ心臓の薬を探しに行った。
あまりにも沢山の薬を僕は朝と夜に分けることができず、病院の薬局にもう一度頼み込んで、薬を分けてもらった。薬剤師さんは快く引き受けてくれて、なんとか何日かの薬を手に入れた。

お通夜が始まる時間だったが、薬のほうが大事だと僕は遅れることを覚悟した。薬を持って、途中からお通夜に参加。

娘はじっとすることが出来ず、椅子を立ったり座ったりしていた。その姿を見て、30年前のお姉ちゃんのお葬式を思い出した。やさしかったお姉ちゃんが死んだことがよく理解できなかった小学生の僕はお姉ちゃんの鼻に詰まっている綿がおかしくて、くすっと笑ってしましそうになったのだ。

今、思えばやはり人の死が飲み込めなかったのだろう。お通夜の後の食事ではしゃぐ娘。でも娘が少しは悲しい気持ちをやわらげてくれるような気がした。

お通夜の終わりにお経をあげていただいたお坊さんがみんなの前でお話をする。「人間には寿命と言うものがあり・・・故、信子さんは84歳だとお伺いしております。年齢的にも大往生という年齢で・・・。」
聞いていて少し腹が立った。それは違う。普通ならばそういう年齢だと納得いく。でも、お父さんには違うんだ。年齢に関係なく二人はいつも支え合って生きてきたんだ。その片方が亡くなるということは普通よりも深刻なんだ。

お母さんは生前、「私は幸せや。何にも言うことがない。」と痴呆のせいか、お姉ちゃんがいない寂しさを遠くへ置いてきたように、子供のような笑顔で言っていた。そのお母さんがいなくなったのだ。お父さんは「とし子(お姉ちゃん)が亡くなった時よりもつらい。」と僕にぼそっと言った。

その日はお線香を絶やしてはいけないので、僕は残ると言ったが、母や娘を家へ連れて帰らなければならず、やむなく一旦家へ帰ることにした。次の日はお葬式。親戚の方に聞いたところによると、昨日は一睡もせず、お母さんの棺の前で座っていたそうだ。

お葬式には、ほとんど連絡できなかったにもかかわらず、沢山の人がいらっしゃていた。僕は親戚の人と受付を変わり、参列にいらっしゃる方を待ちながら、お葬式を聞いていた。遠くで聞こえるお経にお母さんともう話せないんだと思う。

受付がひと段落したので会場へ入る。僕は身内でもないが、お父さんにお願いされて一般のお焼香の時の挨拶に親戚の方と一緒に前へ並んだ。親戚の方々には不審がられたかもしれない。でも、僕はお母さんに「仁(ヒトッ)ちゃん、私ら見捨てんといよ。」言われていたんだ。だからお父さんのために挨拶すると心の中で納得させた。

お花を棺に並べる最後のお別れ。僕は涙が止まらなくなっていた。恥ずかしいので少し後ろからお母さんを見送る。棺に近づき、泣く親戚の方を見て、又憤りを感じる。今になって泣くぐらいなら何故、生前にもっとお二人に会いに来てくれなかった。二人はいつも二人だけだったぞ。親戚の話なんか、長年聞いたことがないぞ。それぞれ事情があるのだろうけど、年に一度でもいいから連絡してほしかった。これからのことを少しでも気にしているならば、お願いだ、お父さんに会いに来てやってくれ・・・僕はつまらないことに怒っているのだろうか。でも、怒りしか悲しみを和らげる方法がなかった。

人には寿命があることは誰もが認識している。人はいつか死ぬ。短命な人もいらっしゃるし、長生きし、天寿を全うする人もいる。死の順番なんか分からない。でも、できれば順番にあった死を迎えたいと僕は思う。もしお姉ちゃんが生きていれば、お母さんの死への悲しみは半減したかもしれない。僕の母がいつか亡くなったとしても僕には支えてくれる妻と娘がいる。それはとても心強く、すばらしいことなのだ。

お父さんは誰がこれから支えてゆくのだろう?僕たちがいくらお父さんの支えになろうとしても、お母さんが亡くなった穴は埋まることがない。骨壷を持ってたたずむお父さんの背中が悲しかった。

家に帰って、娘が寝、妻と二人きりなった時、僕は「頼むから俺より先に死なんといてくれ。」と言っていた。妻は何も言わず、新聞を見ていた。

終わり。





●2007年02月18日(日)
最近の映画を観ると必ずある『海賊版撲滅キャンペーン』の告知。僕もこのキャンペーンには基本的に賛同している。映画を愛する僕は映画を汚す行為を良しとは思わない。

ただこれは購入する人のモラルの問題だけであって、実質上は僕に被害があるわけでもなく、買っている人がダメだとは思わない。僕は映画館で観る映画が大好きで、気に入った作品は正規のDVDで、綺麗な画像でしか観ないというだけである。だから映画関係者が不利益になる行為を見つけて捕まえるなり、訴えれば良いことであって、僕らにそういう行為を発見したら報告しろだの、無償で手伝わせようとすることには少し納得いかない。報告して捕まえたら無料で1本映画を観せてくれるのならば報告しよう。でないと報告は増えないと思うが。

この間、お客様に海賊版DVDを好んで買う人の話を聞いた。その話はかなりおもしろかったので少し書いてみたい。

関西で海賊版を売っているところは電機の街、日本橋(にっぽんばし)だそうで、以前はもう10メートルごとの辻で堂々と販売していたそうである。今は規制が厳しくなったため、一つの通りに5、6人だそうである。

海賊版を作っている所は何件かあるらしいが、日本橋で販売している時は皆で協力しているらしい。販売している場所の両端に携帯を持ったみはりがおり、取締りの警官が来ると携帯で販売員に連絡、報告を受けた販売員は車に商品を投げ入れて一旦逃げたり、慣れた人になるとスーツケース一つにさっと詰め込み、何もなかったように移動する。

海賊版は劇場上映よりいかに早く販売するかが売れゆきにかかわる。早い作品などは日本公開の4ヶ月ほど前のものあるらしい。ちなみにそのお客さんは公開される前の『DOA デッド・オア・アライブ』や『ロッキー・ファイナル』を持っていた。

海賊版DVDの画像入手には大きく分けて2種類ある。
1つは、映画関係者や、パソコンよりマスターな画像を入手する方法。映画は宣伝が大事なのでなマスコミ関係者用にDVDが作られているらしい。例えば『スマ、ステ』での月いちゴローの映画コーナーなんかはこれだ。稲垣吾郎君が一気に映画を5本も映画館や試写室へ行って観ることは不可能である。ではどうして観ているのか。これがマスコミ用DVDで、今上映されている、またはこれから上映される映画をDVDで観てもらい、宣伝、評価してもらっている。この画像は販売用より落ちるらしいが、かなり良いらしい。そのDVDがなんらかの形で、海賊版業者に渡り、それをコピーするのだ。これはかなり質が高いらしいが、100種に1,2種しか出てこないらしい。このようなDVDは海外からの流出ものある。松浦アヤヤの『スケ番刑事』は中国語の字幕が付いていたらしい。公開前の入手だったらしいが、どうもカンヌなどの映画祭でプロモ用に配ったDVDが流出したらしい。

もう1つは古典的な方法で、ビデオ撮影機を直接劇場に持ち込み、撮影する。日本人は欧米人に比べ映画を観ながら大声で笑ったり、拍手をすることがないので意外と撮りやすいそうである。

当然、画像はあまり良くない。下手するとタイトル文字が4分の1切れていたりする。ひどい時などは映画上映中に急に45度傾き、何分か続いたかと思うと、今度は下を向いて撮影いている人の足が何分か写っていたそうである。映画は『日本沈没』だったそうである。

日本映画はマスコミ用のDVDが流出することが少ないらしく、ほとんどが映画館撮影で、そのため公開初日に撮影、次の日にコピー、3日目に販売となるそうである。

ひどい画像には文句は出ないのかという疑問にその人は、「基本的に粗悪な商品だった場合は交換OKなんですが、同じ人が次の日売っているとも限りませんからね。購入者側もある程度の画像が悪いことを理解しているし、自分も後ろめたいところがあるので、クレームはほとんどないらしいです。それに暴力団がらみに可能性もあるしね。」とのことだった。

1枚1000円で常連の間では5枚買うと1枚タダになるそうだ。
一番ひどかったのは『ザスーラ』のDVDで、始まったと思ったらいきなり画像が止まった。何度かけてもそこで止まる。おかしいと思って裏を見たら、録画の溝が1ミリほどしかなかったらしい。

海外から入手した映画にはもちろん字幕はない。字幕は専門の翻訳家がいてパソコンで入力する。おもしろいのが、後ろめたい行為をしているのに、これだけの映画を翻訳したことを誇示したいからか、最後に必ず翻訳者の名前を入れる。もちろんペンネームなのだが、『●●とその仲間たち』というものが多い。何人かの協力訳なのだろう。ある映画で『志村けん』というペンネームがあったそうだ。それを見た時は、借りた人同士で映画よりペンネームで盛り上がったそうだ。(もちろん偽名です。)

もっといろいろ聞いたのだが、今回はこの辺で。もし機会があれば続きを書く。

今週は『DOA デッド・オア・アライブ』。海賊版DVDでも綺麗な画像だった映画である。(僕は映画館で観た!)

もう予想通りB級の娯楽映画だった。いきなりオープニングが日本。石狩山脈と言う文字。そこには忍者の城があり、忍者の里のプリンセスがデボン青木、その女王を守る忍者がケイン・コスギ。もう設定がむちゃくちゃ。

ある島で行われる試合『デッド・オア・アライブ』に参加するため、プロレスラーや泥棒など腕に覚えのある格闘家が集まる。『生か死か』なんてタイトルがついていながら、試合では誰も死なない。ただの格闘トーナメント。この試合も陰謀がらみなのだが、その内容もしょぼい。でも、日本人好みのセクシー美女たちが満載で、アクションを見せてくれる。それで良いのだ、この手の映画は。

そういう意味では、デボン青木もジェイミー・プレスリー、ホリー・ヴァランス、サラ・カーターは日本人好みのセクシーで美人で、強いので観ていても楽しかった。

上映時間も84分と短く、退屈せずに観ることができた。心が疲れている男性諸君は何も考えずバカ映画だと思ってみれば結構楽しめます。

以上、店長でした。

●2007年02月10日(土)
皆さんは「ネーポン」をご存知だろうか。故中島らも氏が関西の人気番組『探偵ナイトスクープ』で「ネーポン」が何か調べてほしいと言い出し、「ネーポン言う響きが、なんやヒロポンに似とるからや。」と言っていた。
「ネーポン」は神戸のつるや食品が作っている清涼飲料水で、ネーブルとポンカンの果汁が入ったジュースのことである。

僕が子供の頃は、風呂屋の定番ドリンクの一つだった。
そのネーポンを作っている『つるや食品』が今月24日でなくなるそうである。一時は従業員も多く雇い、神戸のみならず関東地区でも販売されていたらしいが、阪神大震災から売り上げが延びず、旦那さんが亡くなられてから、今は奥さん一人でビン詰めから出荷まで一人で行っているらしい。一人では限界がきたらしく、今月で辞めることになった。

そんな話を店の常連さん、Nさんとしていたら「僕の知っている古本屋さんでネーポンが飲めますよ。」と言い出した。
「なにー!ネーポンが!!しかもなんで古本屋?」事情はともかく、僕はその古本屋さんへ即座におもむき、「ネーポンくれ!!ビンごとくれ!!」とお願いした。が、気の良さそうな店主のオネーさん曰く、辞めることになったとたん「ネーポン」が売れ出し、つるや食品の奥さんは寝る間もなくビン詰めをしているそうである。そしてビンをほしい人が多いため返してもらえず、詰めなおすビンがないので返品しなければいけないことになっていた。

僕はいかにネーポンが懐かしいか、良く飲んだかをオネーさんに説明し、ビンがあまったら譲ってもらう約束をした。変わりに「ネーポン」の宣伝ポスターがあったので、それを買い(安かった!)、今、店に張っている。ですので、そのポスターを見て、「ネーポン、1本!」と言われても、販売していません。あしからず。

今週は『どろろ』。僕は手塚漫画のファンであるが、中でも『どろろ』、『ブラックジャック』が大好きである。それが実写化されるというこで、かなり前より楽しみにしていた。百鬼丸の妻夫木君も似合っていると思うし、どろろの柴咲さんもみんなの意見とは違い、おかしくないと思っていた。

上映後、あまり評判を聞かなかったので、少し不安を感じていたが、観てぶったまげた。と言うより笑ってしまった。
主演二人と同じくらい大事なキャラである魔物がちゃっちいのである。初めて出てくるクモのような魔物はCG的にも悪くないのだが、間で出てくる魔物には円谷プロの払い下げで作ったよなものだったし、極めつけは蝶の魔物の子供幼虫である。廊下を這う幼虫達はCGにしっくりこず、浮いて見えているし、農民の反撃で蹴られている幼虫はドンゴロスに入ったような着ぐるみだった。この着ぐるみを観た時は、あきれを通り越して笑ってしまった。

塩田監督、主演二人はなかなか良いのだから特撮はちゃんと作りましょう。ラストが気に入らないという原作ファンも沢山いたが、僕はそんなことでは文句は言いません。
だからお願い、特撮、CGはちゃんと作ってくれ!!

かっこいい妻夫木君を見たい人にはおすすめです。特撮どろろを期待する人は『ゴジラ・ファイナルウォーズ』の時のショックを受けます。気をつけて下さい。

最後に『つるや食品』の奥さんの一言、「ペプシとコカコーラさえなければ、うちの一人勝ちやった・・。」

以上、店長でした。

●2007年02月04日(日)
一月の中旬頃から、右目のまぶたに違和感があった。鏡を見るとまぶたが二重になっていた。僕は一重まぶたなので(本当は少し奥二重に年をとってからなっている。)バランスが悪くなって笑える。嫁は「くりくり二重になっている!」とうらやましがるが、僕は高倉健さんのような鋭い一重まぶたが理想である。

すぐに元に戻るかと思っていたが、未だに二重である。これは年をとって皮膚がたるんできたからかなぁ、と思っていた。

今朝、起きるともう片方の左目も違和感があったので鏡を見ると両目が二重になっていた。僕は思った。「おぉ、タダでプチ整形できた。」と。もう一つ思った。「この方法を解き明かして、本にすれば、高須クリニックもビックリ!リスクも無しの二重になれる方法ということで、僕は大金持ちだ!!」とバカなことを考えてしまった。

だいたい、僕は二重を望んでいない。それに基本的には整形は反対だ。TVなんかで、いじめの対象になっていた人が整形で生まれ変わると言うのは不本意だが、しかたないなと思うけど、普通のかわいい娘が、ここが嫌いだからとすぐに整形してしまうのは許せない。ま、芸能人は顔が商売だからいじくってオモチャのよに顔を変えるのもしかたないかな。

そこで、僕の自然に二重になる方法ならば・・・と皮算用をしていたら昼過ぎには左目は元にもどっていた。片方だけが二重である。残念、儲け損ねた。

いやいや、まだ片方は二重だし、昨日の寝るまでのセオリーをふめばもしかしたらまた片方も!え、どういうセオリーかって?それは教えられまへんなぁ。企業秘密言うやつですわ。教えてほしければ店でなんか買うておくんなはれ。・・・嫌な奴になりそうなので、これ以上はやめとこ。わかったらちゃんと教えます。

今週は『ユメ十夜』。僕は大学時代、夏目漱石の『夢十夜』を勉強したことがある。(僕は国文学部である。)教授いわく、夏目漱石の作品は『夢十夜』を期に作風が変わったそうである。どう変わったのかは、その後の作品を全部読んだわけではないのでわからなかったが。ただ、当時読んだ時の印象は、不条理なホラー小説のようだったという感じか。僕は豚の話とお地蔵様の話が好きだったので、どう映像化しているかは楽しみだった。

今回は10人の監督がそれぞれ10分ほどの作品を作っている。実相寺昭雄は本作が遺作となった。市川崑もその可能性はあるだろう。(おっと、言い過ぎました。)役者もさまざまで、ラインナップ的にはおもしろい。しかし、これは・・・一般受けしないなと観ていて思った。僕は楽しかった。最後の豚の話はあまりにも違い過ぎていたので納得いかなかったが、お地蔵様の話を『呪怨』の清水崇が監督していたので怖くて良かった。

いろんな『夢』をいろんな監督が楽しんで作っている。それは分かるのだが、もともと不条理な『夢』の話だから、予備知識がない人は意味も分からず、退屈する可能性もあるだろうし、その調子で第七夜目の天野喜孝の作品なんかの時になると寝てしまうかもしれない。

その点では注意して、観て下さい。

この作品は漱石自身が「理解されるには100年もの長い年月がかかるだろう。」と言ったそうだ。漱石先生、100年後でもわからない人が多いです。きっと、みんなはあなたの『夢十夜』より、僕の『無理をせず、二重まぶたになる方法』に興味があると思います。

以上、店長でした。


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