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●2006年01月22日(日)
昨日は墓参りに行った。阪神大震災で母方の祖父母の仏壇が壊れて以来、祖父母の仏壇はなくなってしまった。そのため、母とせめて墓参りだけでもと出来る限り(2ヶ月に1回ぐらい)行くようになった。今は嫁と娘も加わり4人で月1回は必ず行く。 僕があまり乗り気でなくても嫁が率先して行こうとしてくれる。娘もお出かけは楽しそうで、墓参りを楽しみにしている。(墓参りの後で行くスーパーでのお買い物や、昼ごはんをどこかで食べるのも楽しいのだろう。) 墓参りは3箇所行く。祖父母の墓、7年前に亡くなった父の墓、そして17歳で亡くなった母のお弟子さんのお姉ちゃんの墓。 そのお姉ちゃんは僕が小学校3年生の頃、和歌山へドライブに行き、交通事故で逝った。当時、僕を弟のように可愛がってくれていたお姉ちゃんは生きていればもう50歳前ぐらいだろうか? お姉ちゃんは一人っ子だったので、ご両親のみが残された。 年に3、4回(盆や彼岸など)は一緒に墓参りにお二人をお連れするのだが、お会いするたびに弱っているように思われる。 お父さんは80歳ほどで、心臓の手術を何度となく繰り返し、次に倒れればあぶないと言われている。左目は庭の柿を獲ろうとして脚立から落ち、頭を打った後遺症で見えなくなった。 お母さんは70代後半。若いときに飲んだストレプト・マイシンの影響で、耳がほとんど聞こえない。出来る限り大きな声で、一生懸命に話しても会話がなりたたないことがほとんどである。最近は軽い痴呆も出てきたためか、外にはほとんど出て行かない。 それでも人に頼ることを良しとせず、2人で支えあいながら生きている。 昨年のクリスマスの墓参り後、お2人の家へ寄ろうという事になった。まだ、3日前の雪が残る山の街(地名)の家の庭は一足の靴跡も付いていなかった。多分、雪のためか一歩も外へは出なかったのだろう。 僕たち(僕、母、嫁、娘)の突然の訪問にお2人は非常に喜んでくれた。お母さんは僕の手を取り「よう、来たな。ほんま有難うな。」と繰り返していた。お父さんは、家の中を飛び回る娘を見て、とてもやさしい目をしていた。 僕が「食事はどうしてましたか?」と聞くと、お父さんは「米はあるからね。後は、シャケ(鮭)の切り身があるから大丈夫ですわ。」と言う。どうもここ3日間の食事はご飯と鮭と食パンだけだったようだ。案の定、冷蔵庫は空っぽに近かった。 嫁が、「何か食べ物を近くで買ってきます。」と言うのに最初は、「いらない。」と遠慮していたお父さんは嫁がどうしても行くというので、「なら、刺身を買ってきてほしい。」と遠慮がちにお願いした。刺身が食べたくても人に頼めない、いや頼むことをしないと決めた不器用な生き方を見た様だった。きっと、娘がいなくなった時から、2人で生きていこうと決めたのだと僕は思った。 娘の師匠だった母を先生と呼ぶお母さんは、相変わらず会話が成立しなくても母と今は弾かなくなった三味線のことで楽しく喋っておられた。 僕と娘は庭の雪かきをした。娘は雪だるまを2体も作ってはしゃいでいる。僕は、少しでも外へ行けるよう。門までの道を作っていた。 帰り際、お母さんは僕に抱きつくように体を触り、「ひとっちゃん。又、来てや。わたし、あんた好きやねん。」と大きな声で言った。お父さんは「有難う。」を何度も繰り返した。 僕らが小さくなるまで、門の前で手を振っていた老夫婦の家は娘の作った雪だるまだけが残り、又寂しい年末年始を暮らすことだろう。 世の中にいろんな親不孝があるが、親より先に死ぬことが一番の親不孝ではないかと僕は思う。 今週は『男たちの大和』です。劇場は年配の人たちで一杯だった。前評判は良いと聞いていたが、戦争を知らない世代の僕にはどう伝わってくるだろう。 見終わった僕は、お姉ちゃんのご両親を思い出していた。 大和は沈むことを覚悟で沖縄へ向けて出発する。若い兵士たちの中には、死にに行くこの戦いに疑問を持つ者も多くいる。大人である上官たちでさえも「この大和の出航には意味があるのか?無駄死にではないのか?」と戦いに疑問を抱く。「たとえ、負ける戦争だとしても、俺たちが礎となって未来につながなければならないことがある。」と納得しようとする兵士たちもいる。 兵士達はお国のため、家族を守るため命を投げ出そうと覚悟を決める。そして沢山の若い、尊い命が亡くなっていった。親や大事な人を残して。 最初、角川春樹が製作、長渕剛が主題歌を担当すると聞いたとき、マリファナ友達がラリって意気投合し、大和を作ってどうすんねん。と少し思った。又、今や老監督となった佐藤純彌で大丈夫か?とも思った。でも、映画は良かった。あえて古臭い感じだが、佐藤純彌ならではの映像で正解だったかもしれない。それは若い監督が大和を新しい感覚で作ってはいけないのかもしれないとも思った。 題名の『男たちの大和』ではあるが、映画は女たちもそれぞれを背負って男たちの帰り待つ『女たちの大和』でもあった。大和出航前におはぎを作って、最後の食事を食べさせる母。好きな人に「行ったら死ぬ。行かんで。」と頼む娘。敵の機銃から息子の好きな娘を守って、死んでゆく母。そこには戦時中に男と同じように戦っている女の姿が描かれている。 一人生き残った兵士が、戦死した友の母親に会いに行く。そこで母は「何で、あんただけおめおめ生き残ったんや。」と生き残った兵士をののしる。本心ではないにしろ、自分の息子が死んだ母の怒りと悲しみが言わせた意地悪な一言である。 残された者は悲しい。僕も嫁や娘より先に死にたい。僕より若い、大切な人の死を見たくない。だから、僕は母よりも長生きしなければならない。一番の親不孝はしたくないから。 年明けにも再びお2人のところへ伺った。沢山のおかずを持っていくと、これで何日かはおいしくご飯が食べることができると言っておられた。あとで、嫁が作ったデミグラス煮込みハンバーグを「この味噌が入った食べ物はどうして食べるのですか。」と電話聞いてきたそうだ。帰り際にお母さんが「私らのこと忘れんといてよ。」と言っていたのが、なかなか頭から離れなかった。 今回はオチなしです。なかなか良い映画なので観に行ってください。以上、店長でした。
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